どんなことでも、何らかのメリットもありそうなことであれば、半年や1年くらいは続けてみるものだ。

 メリットがあるかないかを判断するのは自分自身である。そして、世の中の営みの殆どは、自分の考え方次第で、メリットもデメリットも幾らでも見出せるし、それらはやり始めて暫くすると、理解できるようになってくることが多い。

 さらに、世の中の営みの殆どは、上手くやるには、何らかの訓練、練習が必要である。

 半年も続けずに「これはやっても自分にとってのメリットがなく無駄である」といった判断をすることは、続けたことによって得られた状況に基づいたものではなく、その人の頭の中の、いままでの経験に基づく基準での判断でしかない。

 そもそも、頭の中にある基準だけで上手くいくのであれば、それだけで生きていけば良い。そうはいかないから、人は何かを得ようとして、結果として無駄かもしれないことを続けるのだ。

 そして、たとえ結果には見るべき点がなかったとしても、少なくともやり続けた行動の中には、新たな経験や教訓といったものが蓄積される。それは、行動しないと得られないものであり、結果だけに着目していると、見過ごしてしまうものである。

 というわけで来年も、今年よりも増して失敗を恐れずに、行動する所存。
 来年が皆様にとっても、新たな行動の1年になりますように。

さくらインターネット、双日が救済へ–資本提携で債務超過解消を狙う(2007年12月27日 CNET Japan)

 まあ借りたサーバは無事っぽいし、良かった良かった。提携相手が双日ってのはびっくり。双日自体、数年前はヒイヒイ言ってたような気がするので、感慨深いものがある。

 それにしてもデータセンター事業の黒字を、オンラインゲーム事業の赤字がもろ相殺。オンラインゲームってのは難しいんだろうね・・・

 少し前に巷を賑わしていたblog限界論について。blogを認知する人々の裾野が広がり、スパムとかアフィリエイトの比率が高まったことで、自分にとって価値のあるblogが見つけにくくなったことは事実なのかも知れない。でもそれは誰かが言っていたように、単に検索精度とか検索手法が悪いだけである気もするが。検索エンジンの1ページ目に自分の満足を求めているとしたら短絡的すぎるし、フツーの奴はパクりでもしなきゃ毎日毎日そんなに面白いこと書き続けられないし、お互い、たまに面白く絡めれば、それはそれで楽しいんじゃない?

 ネット上で限界論が盛り上がっている最中、私はある研究のヒアリングで街づくりなど地域活動のコミュニティーで中心となっているAさんと会っていた。仕事人間だったというAさんが、仕事を離れて地域と関わり始めたきっかけはパソコン通信との出会いだったそうだ。しかしそんな彼も「パソコン通信には夢があった。何か社会を変えられるのではないかと思って始めたけれど、結局それは実現せずにしぼんでしまった」と無力感を感じているという。

 一方、ブログをネットワークして媒体価値を高めることを目指すアジャイルメディア・ネットワーク(AMN)取締役の徳力基彦氏も自身のブログに「ブログを通じて感じた未来の変化に大いに期待をしていた(しすぎていたという方が正しいかも)、自分のような人間からすると、これまでのところブログが思ったほど大きな変化を引き起こしてくれていないように感じてしまうのも事実です」と書いている。パソコン通信であれブログであれ、新たなコミュニケーションツールやメディアが生まれるたびに、同じような議論が繰り返されてきたのだ。

「ブログ限界論」を超えるには(2007年12月21日 NIKKEI NET IT+PLUS ガ島流ネット社会学)

 たぶん、これが本質なんだろうね。社会の大きな変革に自分も関わりたいという気持ちが強い人ほど、そう思わせる新たなツールが出現すると期待過剰になり、それが社会の変革など起こしえないと知ると、大きく落胆する。

 もしくは、欲望のバブル崩壊。最初は「自分が書いた文章が世界中から見られるネット上に公開されてる!スゲー!」「知らない人からコメントがあった!ものスゲー!」「リアルでもお知り合いになれた!こんなのってアリ!?」期待はどんどん膨らんで、もっと楽しいはずだ、もっと楽しみたい、という欲望が膨張し続け、やがてツールや仕組みが提供する限界を超えるか、原資が枯渇する(要するに面白いことを書く人の増加率が自分の期待度を下回る)と、バブルははじける。

 blogって、自分のためのツールであると思っていた。自分自身や、周囲の数人を楽しませて成長させる程度でも、十分役に立つと。そんな自分は、小市民1.0すぎるのだろうか?