素人動画サイトを「ゴミ」と見下すテレビ的発想の限界(2007年9月14日 IT+PLUS)
もう表題ですべて語ってしまったわけですが。
絶対的なコンテンツの価値なんてなくて、ある人にとってはゴミ同然でも、ある人にとっては宝物なわけで、それを公共の電波というものを半ば独占的に使って、一元的な価値観に基づいた動画を、勝手に作り上げた「国民」という幻の存在に向かって、タレ流しているTVという仕組み自体がすでに時代遅れなわけで。
他人にとってはくだらないと思える言葉や映像や会話であっても、本人にとっては心の靄を取り払って生命力を得られる、お金を払ってでも得たいと考えるような、価値なのかもね。
でもTVが滅亡するなんてトンデモ論には賛同しない。ただ「絶対的な頂点」の存在ではなくなっただけ。
ひとびとは「自分が楽しいと感じるもの」「自分が納得するもの」にお金を払う。大衆の一部としての自分と、個人としての自分を使い分けている。選択する楽しさやメリットを知ってしまった人には、もうマスだけの世界には戻れない。
というわけで、TVそのものが必要なくなることはないと思うけど、そうした時代に対応できないTV局は、もう寿命がきたのかもね。でも壊して作りなおすことは恐らく出来ない。言論の自由って、大事だけどやっかいな御旗だなあ。