そのうち民放連ならぬ民動連ができるのか:個人を縛り、そして守るものの必要性

投稿者: | 2007年8月21日

 ふと思ったのだが、昨今の動画サイト大流行において、サブリミナル効果ってやつが使われたりするケースはあるのだろうか。

 過去の日本においては、TBSが問題になって四面楚歌に(一時的だけど)陥ったりとか、1999年に日本民間放送連盟がサブリミナル的表現方法を禁止する事を明文化したりして、それなりに自警団的な営みで抑止してきたみたいだ。
 また、米国だと、広告にサブリミナル手法を使うことを法律で禁止していたりとかしてるらしい。

 まあサブリミナル効果じたい実証データに乏しく、懐疑的な面も多々あるとのことだが、放送業界で自粛または禁止されているものであれば、これから既存の放送を凌駕してメディアのメインストリームにならんとしているネット動画で、完全に野放しってのも非対称な気がして、気にはなる。
 (だけど仮に自分がサブリミナル動画を見つけても騒いだりはしないだろう)

 ネットによって、個人が社会的影響力を持った結果として、企業のような組織体では自制されるようなことであっても、自制されずに実行に移される確率があがった。
 これは、個人発のイノベーションも生み出すだろうが、個人発の大迷惑も、同じように生み出す。
 何にも所属しない個人の横暴を制限するには、当然ながら、企業の寄り合い団体などでは無理がある。

 そのうち、こうした個人同士をジャンルごとにフォローする組織、例えば職業別組合(ギルド)などによって、何らかの行動規範や与信コントロールのような枠組みを提供するようになるのだろうか。
 それとも、ひろゆき氏が言うように、100%弱肉強食の世界が今後も継続するのだろうか。

 職業別組合による個人のフォローというものは、逆の意味合い、つまり、「力を持ちすぎた企業」が跋扈する日本において、個人を上手く機能させるために今後必要となってくる気がしている。
 グッドウィルやフルキャストなどの報道を見聞していても、その必要性が暗示されているような気がしてならない。

 まあ仮に民動連なるものが出来たとしても、ニコニコ動画のUP主たちは無視するだろうな。

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