お久しぶりの「パラダイス鎖国」と「情報発信」を閉ざすことについて(Tech Mom from Silicon Valley 2007年6月24日)

携帯端末に関しては、いかに大きいといっても日本だけの市場(特に日本ではメーカーの数が多すぎ)では、世界で売っているメーカーと比べてスケールが違いすぎ、(一方海外の安い端末は日本のあまりに進んだ市場に合わず)明らかにコストが高く、そのためにメーカーは儲からない、キャリアは高い補助金をはらわにゃならん、ユーザーは高い料金をはらわにゃならん、という、誰もハッピーでない状況になっているのは間違いなくて、これはやっぱり、なんとかしたほうがいいと思う。ネットワーク・インフラ機器はもっと深刻な状況。

日本は世界のブラックホールか桃源郷か(On Off and Beyond 2007年6月23日)

猫やら犬やらを孤島に放してしばらく経つと、全く異なる新種が誕生し、世界から珍重される、といったことがあるが、日本も同様に「全く違う、とんでもない製品」が出てくる場所になりつつある。だからいいじゃん、と思うのですよ。そもそも、世界が単一化するのもつまらないし。

もちろん、「全く違う、とんでもない製品」の多くは、世界では全然受け入れられないリスク高し。テーストが違うのでやむなしではある。「テーストの違いなんかぶっちぎる画期的な製品」が出てくるまでは、外貨獲得能力がジリ貧化、国として日本がどんどん貧乏になる、という可能性もある。っていうか、「日本隔絶反対派」は、まぁみんなここを憂えているのだよな。(加えて、日本国内市場が大きいがゆえに、それだけで満足しちゃって外貨を稼ぐとこまでのハングリー精神がないとか)。その上少子化で生産絶対量も減るし、と。

日本は世界経済にとってのガラパゴス諸島(Life is beautiful 2007年6月24日)

「日本という特殊なマーケットだからこそ可能な『何か』を作って、それをこの隔離された環境で急速に進化させてから世界に羽ばたかせて、一気に世界を制覇する」みたいなことはぜひともやってみたいと思うのだが…さてその「何か」とは一体なんだろうか。

ここ数日、有名blogで連鎖的に盛り上がっている話題。

こと日本の携帯電話ビジネスに関して言えば、まあ言われているとおり袋小路に迷い込みつつあると感じる。

そもそも携帯電話メーカーは何で撤退しないんだろうか?そりゃ販売奨励金とか通話料に転嫁してとか、ロジックはあるんだろうけど、あんなすごいスペックの携帯電話機を半年おきに開発していたら、いくら事業としてペイしたとしても、かなりの無理・無駄、ならびに膨大なコストがかかっているだろうに。どこかから何がしかの見えざるパワーが働いているのだろうか?

ただ、その過酷で狭苦しい競争環境のおかげで、テレビも見られて音楽も聴けて漫画も小説も読める携帯電話を数十種類のラインナップから選べる環境になったと。あきれる半面、それでも定期的に買い換えてしまう自分がいる。きっとこうした、与えられた仕組みにフラフラと乗ってしまう我々消費者が、この歪んだ構図を支えてしまっているんだろう。

昨今の携帯電話も、ここまでやってしまったら、もういいかげん実装する機能もなくなってきただろう。

この先は、いっそソフトウェアをできる限り公開し、差し替え可能にして、ユーザの創造性に任せてみたらどうだろう?(ウィキノミクス読んだばかり)

言うなれば、それがほんとの~2.0だ、というのは飛躍しすぎだろうか。


それにしても、皆さん、ネーミングが巧い。

たしかに、この問題は、幕末における、開国論者と尊皇攘夷論者との論争なんかを彷彿とさせる。
しかしこうした論争、そして戦いを経て、日本は開国して明治維新をなしとげ、工業先進国となった。もしかすると現在のなんとも言えない閉塞感すらも、情報先進国となるための必要条件の1つなのかも知れない。

とすれば、勝海舟、坂本龍馬、大久保利通、伊藤博文たりえるのは誰か。

そうした歴史に学ぶとすれば、過度な保護政策は結局国内の歪みを増幅し、やがて大衆の支持を失い破綻して開国せざるを得なくなると思うが、確かにこのまま衰退しつつも「自立して清く貧しく美しく、割と幸せに生きる」という方向性も、あながちなくはないかなとも思ったりもする。

じっさい、人間の精神がすべてネット上のデータとして存在し得るようなSFの世界でもない限り、家を建てたり道具を作ったりしなければ人間らしい生活はできないわけだし、情報化の波に全く乗れてなくても、情報を使うことはできるだろうし、職人の出番もそれなりになくならないだろう。

漫画やアニメなんかの状況、果ては痛車なんていうものを見ると、「金儲けはさほどうまくないけど、その道のマニアにはそれなりにリスペクトされる奇才たち」というレッテルも悪くない。

何よりも、自分の思い描く作品を創って、自己も満足し、多数ではないにせよ世界の人々にも何らかの影響を与える、というのは個人の自己実現の形として理想的ではある。

もちろんそれで食えるか、食わせられるか、という問題だけど。そういう意味で、SLなんかの「いくばくかの創造力を働かせて作ったものでリアルマネーを得られる」というシステムには、前向きな試行錯誤を感じるし、頑張ってほしいと思う。

そうやって、マズローの欲求段階をひとつづつ上っていければ、そしてそれを世の中に伝播させるエヴァンジェリスト足りえて、少しでも世の中に対して好影響を与えることができるならば、お金なんかはちょっとでいいのだ。

幸い、この現代においては、情報の表現と伝播にかかるコストはどんどん安くなっていくのだから。